【<Kawabata Week>河端選手インタビュー】 第2回:思ってた以上にまだいけるなって。

日本自転車競技連盟(JCF)は、2018年の世界選手権男子ケイリン種目で日本チームに25年ぶりのメダルをもたらしたHPCJCの短距離アカデミーチームメンバー・河端朋之選手を、本人からの要請により、ナショナルチーム登録から解除しました。

河端選手はHPCJCが今の形になる前からナショナルチームの一員で、HPCJCと歩みを共にした、HPCJCの生き字引とも言える選手。そして、HPCJCのロールモデルともいえる選手で、世界選手権での銀メダル獲得により、HPCJCの将来への希望、扉を開いてくれた選手でもあります。

その河端選手へのリスペクトと感謝の気持ちを込めて、河端選手のここまでの自転車人生とHPCJCとの関わりを伺ったインタビューを全5回でお届けします。

第1回 :競輪だけでなく競技をやってみたい。(7月20日)
第2回 :思ってた以上にまだいけるなって。(7月21日)
第3回 :データのほうが、数字のほうが嘘はつかない。(7月22日)
第4回 :ラッキーがふっと湧いてくる。(7月23日)
第5回 :あとは僕が立ち上がるだけ。(7月24日)

 

第2回:思ってた以上にまだいけるなって。

 

Q: HPCJCのことを伺いたいのですが、HPCJCが今に近い形になってからとその前との違いを感じるところはありますか、競技のパフォーマンスという観点で?

 

トレーニング自体は2016年の終わりからどんどん今の体制になっていって。みんなこの辺(伊豆)に住んで練習し始めたのが2016年の終わりからだったと思いますね。ベロドロームがあって、練習するところがあって、そこにの一室にマッサーや理学療法士の方がいてくれて、メカニックの部屋も出来てそこに常駐してくれて。事務所にもスタッフがいてくれるっていう形になって、とても助かりましたね。何かあってもすぐに相談できるし、JCFさんとの交渉なども事務所に繋いでくれるスタッフがいてくれるから、スタッフに話をすれば良いことが多かったし。

 

 

Q: 以前の日本代表の大会前とかっていうのは、短期間の合宿があったりしたかと思うのですが。

 

合宿を1週間くらいして、何日出発だから、あとは地元でトレーニングをしてくださいというスタイルでした。強化合宿が月に何回か。HPCJCができてから、継続的に毎日練習できる環境ができたという側面があるなと感じています。HPCJCとは別の話かもしれないですけど、競輪を走る本数の話も相談できて、半年間に何本か走る必要があるよというような話も、ナショナルのAチームはそれを変更してもらえて。そういうところの交渉を担ってくれたっていうのは、僕としては精神的に大きかったかなと思いますね。

 

 

Q: 選手がトレーニングに集中できるような環境になったのが一番大きな違いだったんでしょうか?

 

そうですね。通常、月に2本の競輪の斡旋があるので4日制のレースだったら前検日と4日間で、合計5日間はトレーニングできないことが月に2回あったんですね。合計10日で、月に3分の1はトレーニングできないっていうことになった。オリンピックでメダルを取ることに標準を合わせた時には、計画的なトレーニングっていうのがなかなか難しい状況だったんです。

 

 

Q: 河端選手の経歴を拝見した時に、2010年代の前半と後半を分けた時に、前半より後半のほうがパフォーマンスが上がってらっしゃるというか、いわゆる、結果を出してらっしゃるっていう感じがしたんですけど、それってHPCJCの体制が整ってきて、選手のみなさんが競技にしっかり集中できる環境が徐々につくられてきたみたいなことが関係したりとかされるんでしょうか?

 

それはあると思いますね。HPCJCって言っていいのか、ブノワの練習って言ってよいのか(笑)感覚としては、ブノワが提供してくれてるものが自分に合っているというのがあるんですけど、結局ブノワがそれをできるのはHPCJCのほかのスタッフのみなさんが周りを固めてくれてるからできたっていうことはあると思うんです。自身の競技力的には上がってきてはいたと思います、2016年、2017年からの方が。その年に30歳を超えてましたけど、どんどん体力もタイムも伸びてきたし、トップスピードも出てきて。

 

 

Q: 毎日練習して、その分、しっかりコンディショニングも診てもらえてという環境だと、年齢重ねてもパフォーマンスが上げられるんだなっていう感覚がその当時は持たれてたってことなんでしょうか?

 

思った以上に感じてましたね。元々、まだまだいけるっていう気持ちはあったんですけど、思った以上にまだいけるなって(笑)

 

 

Q: 2018年にUCIトラックで銀メダルを獲得されました。それが日本人が銀メダル取れたのが25年ぶりだったんですよね。吉岡選手以来。その時の記憶とか、思い出みたいなものって。

 

終わった後に、やったーっとかじゃなかったんですよね。みんな強かったな、みたいな、みんな速っ!みたいな。もっと自分の力がいるなと思ったんです、その時。2位でしたけど、結局、僕も最後まで足溜めて、最後、コロンビアの選手がまくっていって、それについていって、結局2着っていうのがあったんで。自分の力っていうのはあんまり使わずに走っていたんですけど、道中のスピードは思った以上に速く感じました。まだまだ自分のパワーだったり、スピードだったりっていうのが足りないなっていうのはその時思ったんです。ただ、それでもメダルを取ることはできると思ったんで、日本人にもチャンスは十分あるなと。帰国してからの記者会見でも話したんですけども、今回、たまたま自分が獲ったけれど、一緒にトレーニングしてる選手たちはみんな力が変わんないし、誰でもメダルを獲るチャンスがあると思う、っていう話をしたんです。日本チーム全体が強くなってきてる、自分が獲れたんだから、っていうのはあったっすね。

 

 

Q: でも、河端選手だから獲れたっていう部分はもちろんあったと思うんですけど。

 

そう思えなかったですね。みんな強かったなって。周りみんな強かった、みたいな。まだ課題はあるなっていうか…。やったぜ!みたいな雰囲気はとても出せる感じじゃなかったです。でも、自分の走り方とかがある程度分かってきたり、それこそ、ギア比だったり、フォームの解析だったりをサイエンスチームがやってくれて、そこから改善することもどんどん出てくる。まだまだ上げられるって感じだったと思います。

 

 

明日に続きます