【<Kawabata Week>河端選手インタビュー】 第5回:あとは僕が立ち上がるだけ。

日本自転車競技連盟(JCF)は、2018年の世界選手権男子ケイリン種目で日本チームに25年ぶりのメダルをもたらしたHPCJCの短距離アカデミーチームメンバー・河端朋之選手を、本人からの要請により、ナショナルチーム登録から解除しました。

河端選手はHPCJCが今の形になる前からナショナルチームの一員で、HPCJCと歩みを共にした、HPCJCの生き字引とも言える選手。そして、HPCJCのロールモデルともいえる選手で、世界選手権での銀メダル獲得により、HPCJCの将来への希望、扉を開いてくれた選手でもあります。

その河端選手へのリスペクトと感謝の気持ちを込めて、河端選手のここまでの自転車人生とHPCJCとの関わりを伺ったインタビューを全5回でお届けします。

第1回 :競輪だけでなく競技をやってみたい。(7月20日)
第2回 :思ってた以上にまだいけるなって。(7月21日)
第3回 :データのほうが、数字のほうが嘘はつかない。(7月22日)
第4回 :ラッキーがふっと湧いてくる。(7月23日)
第5回 :あとは僕が立ち上がるだけ。(7月24日)

 

第5回:あとは僕が立ち上がるだけ。

 

Q:河端選手はいつもにこやかですよね。一般的にポジティブに考えるタイプなんですか?

 

まあ、そうですね。あんまり怒ったりはしないし。悲しいことはありますけど。それは2020年の世界選の時。もう引退だって思ったんで。記者の人に囲まれて、まさか自分が泣くとは思わなかったんですよね、そこで。もうラストチャンスだという気持ちはあったんで、感極まったっていうのか。悲しいというより、悔しいっていう感じでしたね。自分ができなかった、成し遂げられなかったみたいな。人がどうこうとかじゃなくて、自分ができなかったことが悔しいっていう感じでした。

 

 

Q:そうですね、それは、悔しい、ですよね。すごい漠然とした質問なんですけど、河端さんにとって、ブノワも含めたHPCJCの存在ってどういうものでしたか?

 

すごいざっくりな質問(笑)本当にざっくり答えると、例えるなら僕は赤ちゃんで、周りの大人たちが色々準備してくれて、あとは巣立つだけよ、みたいな場所だったかな、と。自身が成長していく過程で、体のケアだったり、トレーニングの機材だったり、トレーニング環境だったり、トレーニングメニューだったり、全部のことを周りのスタッフのみんながやってくれるので、僕らは与えられたものを淡々とこなしていって、最後、あとは僕が立ち上がるだけみたいな。僕らが立ち上がると、みんながウワーッて拍手してくれるみたいな。だから、ちっちゃい子をみんなが支えてくれて、僕らを主役にさせようとしてくれてるっていうイメージですかね。あとは金メダルを獲るだけだよみたいな。はいはい、頑張ってって。そこメダルあるよ、獲って、って(笑)

 

 

Q:それで立派な大人になられたわけですね。

 

はい。でも、もうちょっとでしたね。オリンピック行くために僕も何年もやってたんで、もちろん行きたかったっていう気持ちもある。ただ、ずっと一緒に練習してきた仲間が行くっていうのにもちろん文句もないし、彼らが行って当然だとも思うし、一緒にやってきたからこそ分かる、お互いの努力も知ってるし。結局、誰かじゃなくて自分ができなかったっていうだけなのかなっていうのはあります。

 

 

Q:河端選手らしいなというふうに思います。

 

いや、みんなこんな感じじゃないですかね。

 

 

Q:そういう考え方の方じゃないとその境地には行けないんじゃないかなっていう気はします。おっしゃる通り。日本代表はちょっと離れられますけど、ここからまだ競輪は続けられると思うんで。

 

はい。選手たちとはお別れでもなんでもないので。競輪選手の中でやるトラック競技の大会のようなものがあるんで、それに出ることはあるとは思います。ただ、全日本選手権に出たりまではしないと思いますね。

 

 

Q:じゃあ、今後の抱負とかおかしいですもんね。延長線上ですもんね。

 

そうですね。もう違う人生みたいな、全然変わるわけでもないですし。

 

 

Q:今日は練習後のお疲れのところ、ありがとうございました!

 

ありがとうございました。大丈夫ですか、こんな適当な感じで。

 

 

Q: とても良いお話を伺えました。ありがとうございます!

 

 

(最後までお読みくださり、ありがとうございました!)